ブログ運営者プロフィール

運営者のプロフィール(転職遍歴)をご紹介します
運営者は6回の転職で7つの会社を渡り歩いている訳ではありますが、会社の合併や出向を含めると経験社数は10社超。社会人人生約20年として単純計算すると、普通の会社員の部署異動を上回るペースで名刺の社名が変わるという異常経歴の持ち主です(苦笑)

新卒・・・銀行員
在籍5年未満。最高年収450万円位(うろ覚え)
2000年代初頭の就職氷河期に新卒で銀行に就職しました。ドラマ「半沢直樹」を見て「ドラマだからって誇張し過ぎ!」と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、役者さんの顔芸は大げさだとしてもパワハラ、ブラック企業の描写は当たらずとも遠からずの世界だったと記憶しています。
新卒だった事もあり、「死ぬほど辛いけど、どこの会社も同じに違い無い」と思い耐えていました。
が、ある日通勤電車を待っている時に「電車に轢かれたら明日会社に行かなくてすむなー」とボンヤリ考えるほど思考回路がぶっ壊れていた自分にハッと気づき、そこから真剣に退職を考えるようになりました。とは言え、初めての転職になることもあり「周りに迷惑をかけてしまう?」「お世話になった人に申し訳無い」「自分の努力が足りないのでは無いか」等々の相当長い期間悩みました。最後は銀行が合併した事で自分の中で勝手に「良い言い訳ができた」と納得して退職を決意する事ができました。

2社目・・・IT系ベンチャー企業
在籍1年未満。年収450万円位(うろ覚え)
この企業を転職先に選んだのは当時勢いがあった「中国」向けに市場開拓を積極的に行うビジネスモデルに共感した為でした。ただ、今にして思うと前職で心身共にボロボロで冷静さを欠いてた状態で判断ミスの転職だったと思います。
転職において、前職を退職する事に脳みその90%を使って、次のステップに関してはほぼ勢いで動いてしまったと思います。
結果、その会社は「ダメ会社」でした。ワンマン社長が無理な営業で色々な所でトラブルを起こし、クライアントからはクレームが止まらない状態でした。経営も上手くいっておらず、心の拠り所であった「中国」向けのビジネスもストップすることになってしまいました。
その頃にはある程度、心身を回復した私も冷静に考え直して「やっぱり辞める」事を決断しました。
そのほか辛かったのは、異業種転職で前職の経験がほとんど活かせなかず、新卒さながらに一から仕事を覚える状態で約5年の社会人経験がゼロになってしまった事に非常に後悔しました。これは異業種転職では最初に覚悟しないといけない事なので会社側は全く悪くはないですね。
斯くしてあっと最初の転職から1年を待たず二度目の転職をすることになりました

③3社目・・・ノンバンク
在籍8年程度。年収600万→8~900万円位(残業代込み)
この企業を転職先に選んだのは改めて金融業界に戻りたいと思ったからでした。
当時は2000年代後半の不動産プチバブルの頃、私が入社したノンバンクも不動産向け融資事業拡大に向けて積極的に中途採用を行っていた為、経歴微妙ながらただ単に銀行員の経歴を武器に入社できたんだと思います。
仕事は激務で、時に徹夜も含めた深夜残業は日常茶飯事。休日出勤も当たり前といった状況でした。しかし、プチバブルとは言え、バブルはバブル。残業代や休日出勤の手当は満額申請できた上に帰宅時にタクシーチケットをもらえる事もざらでした。当時独身で若く体力もあり、しかも責任のほとんど無い平社員の立場でしたのである意味思いっきり恩恵を享受できた気がします。
さて、1社目の銀行員時代で 仕事が激務で精神崩壊していた自分ですが、この職場では激務でしたが不調も起こさず、寧ろ楽しく働けていたと思います。思うに1社目に辛さは体力的なものよりも精神的な負荷、それもパワハラによるネガティブなプレッシャーが原因だった為と思います。当職での体力的なものや、自身の成長に通じると思えるような意味でも激務はポジティブなプレッシャーとして心地よくさえ感じられたと思います。
しかし、だからと言ってこの会社が純白ホワイト企業であったかと言えばそうとも言い切れません。全く違う部門では上司のパワハラによる自殺者もいるという事を噂で聞きました。1社目で私が退職した時に「周りに迷惑をかけるのでは」とか「自分の頑張りが足りないのでは」とか散々悩みましたが、こういう事から考えると同じ会社の同僚だとしても一人一人自分の半径数mのことしか分からないとういうことだと思います。特に自分自身が仕事や職場に傷つけられていると感じた時は周りがどう言おうが自分の直感で判断するのが一番間違い無いんじゃないかと思います。
そんな楽しい会社員時代もいつかは終わりを迎えるものです。
この会社は自分とも相性が良かったんだと思います。貴重な経験とスキルアップを与えてもらい、営業マンとしても自分自身で社会人人生として一番の成績を上がられたと感じた瞬間もありました。
そんな時に、自分の中でふと、野心的なものがでてきました。
当社で転職を考え出した時期、不動産プチバブルも弾け、当初私が所属していた部署も実質解体状態でグループ企業に出向していました。出向先では自分としても満足いく営業成績を上げてこの会社でステップアップしていく事を夢見るようになりました。が、現実はそうではありませんでした。期待したタイミングで昇進できなかったんです。このことから会社に対して不信感を持つようになってしまいました。まあ、今にして思えば会社側はそんな一瞬の打ち上げ花火みたいな成績を上げた社員に一々ご褒美はあげないですよね。他の人とのバランスとかもっと広い視野でそういうのを見ているんでしょう。
しかし、それまでの私はお気楽サラリーマンを散々楽しんでいたにも関わらず、急に「昇進できないんじゃこの会社での自分のキャリアは終わった」とか「そもそも出向させられているということはレールから外れてしまっているんだ」だの面倒くさい思考回路に陥ってしまいました。それから急速にこの会社で働いていく未来、また出向という形で昇進のレールから外れてしまった(と思い込んでいる)状況を打破する為に選んだのが「転職」という道でした。
一応大きな会社だったので、異動希望を出したり、社内公募に応募したりと社内でやっては見ましたがそれでも上手くいかず、の末の判断でした。
しかし、私今振り返るとこの会社での8年弱の経験は私のその後のキャリアに非常にプラスになっていたのです。

④4社目・・・ノンバンク
在籍1年未満。年収900万円位(残業代込み)
前職では、「この会社でサラリーマン的な成功は期待できない。」、「自分は本当にやりたいことをやるんだ!」、という思いで退職しました。「じゃあ、本当にやりたい事ってなんなの?」という試行錯誤の中で自分が出した答えは「高度な金融技術を身につける」&「海外進出」の2本柱です。
前職では様々な部署を経験した事で、金融分野の中で色々なスキルを習得する事ができました。しかし、前職は異動や出向も多かった為結果的に「何でも屋」みたいな感じになってしまった事で自分のキャリアに不安を感じるようになっていました。そしてもう一つは「海外」経験を手に入れる事でした。
その結果私が選んだのは、商社系ノンバンクでした。商社のビジネスに関与した金融業務を手がける事でこれまでのスキルのブラッシュアップと高度化、また商社と一体のビジネスでは海外に展開するチャンスもゲットできる!という期待を胸に転職しました。が、すぐに後悔することになってしまいました。とんでも無いパワハラ上司の存在でした。また商社系列の企業と言うことですが、役員クラスは全員親会社からの出向者ばかりで主体性の全くない会社でした。自分が目指すような親会社絡みの仕事は出向者の専売特許になり仕事内容にも全く期待ができない事態になってしまいました。
この時はさすがに精神的に参ってしまい、鬱になり病院でもらったお薬を飲みながら何とか出社しているような状況でした。最早四の五の言える状況ではなく、自分の身を守るためすぐさま転職に動きました。この転職に関しては得るものの全くない、且つ命・健康を脅かす大失敗だったと反省しています。
しかし、結果論ですが、この時追い詰められて行った次の転職で自分にとって大転機となることになります。長い目で見ればこの転職も自分にとって必要なものだったと今ようやく振り返れるようになりました。成功も失敗も含めて会社に縛られない=自分の人生の手綱を握るという事でしょうか

⑤5社目・・・インフラ系投資ファンド
在籍約5年。年収初年度700万円、最大1200万円(年俸制)
突然これまでとは毛色の違う会社が出てきました。今回の転職に当たっては在籍期間1年未満(前科あり)の状態でスタートしたのでかなり苦しいものがありました。とはいえこちらも命の危険もある為ゆっくり選り好みできる状況ではない中での転職という事で結果的に今までに無い選択をする事になりました。これまでの自分の判断軸であれば(2社目のベンチャー企業での反省も踏まえ)「安定」を求めて一定規模以上の「企業」しか選択肢にありませんでした。今回の職場は一人一人に「社員」では無く「プロフェッショナル」である事を求められる環境でした。給料に関しても、「年俸制」と言うことで、毎年社長とマンツーマンで面談を行いそこで給与とボーナスの額を話し合い決めるスタイルでした。5年弱でしたが上がった年もあれば下がった年もありました。
また同僚達も優秀な人がばかりといった職場で、前職で弱っていた自尊心は完全にボロボロになりました
しかし、この会社の特徴はもう一つ。コンプライアンス完全無視の超絶ブラック企業だったのです。24時間365日働くことを求められる環境。社長はスーパー厳しい人で深夜に電話で罵倒される事も日常茶飯事。土日祝日構わずに仕事のメールが飛び交うような職場でした。
そのような環境なので離職率は異常に高く1年以内に過半数が入れ替わるような状況でした。私はというと、前回1年未満での退職で後が無くなっていたことや、劣等感を感じる余地が無いほど優秀な人たちばかりだったのでかえって開き直って修行僧の気持ちで業務に臨めみ、そして優秀な同僚から多くの事を学ぶことができました。それが自分を飛躍的に成長させる事ができてその後につながる一生の武器になったと思っています。
そして、もう一つ大きかったのが、このブログのテーマである「生涯現役」で活躍するシニア人材との出会いでした。これまでの自分の仕事観はある意味会社という閉じた世界の中で自分をアピールしながら出世のレールに乗ることを目指す、という事だったと思います。
しかし、今いる環境は一人一人がプロフェッショナルで外部で誇れる実績を残して毎年成果と報酬を交渉する世界。そしてそこには定年を迎えたシニアにもかかわらず我々現役世代と肩を並べ第一線で活躍する人々がゴロゴロしているという世界でした。
今自分がいる環境は少なくとも定年退職まで年功序列で温かく見守ってくれる会社ではないのでいつか出て行く事になるのは明らかでした。しかし、既にジョブホッパーとなってしまった自分が今更大企業に普通の社員として戻る事は望み薄。で、あれば自分も今後の人生は一人のプロとして年功序列やさらには定年の枠組みも超えて企業から求められる存在になること。それに対して自分も定年まで面倒見てもらう事は求めない、そんな存在になる事を目指す。そんなイメージが急速にできあがっていきました。幸い周りにはそんなプロフェッショナルだらけです。(みんなすぐ辞めていきますが)
社会人を20年近くたってようやく自分の仕事観ができた気がします。
そして大変苦しい環境ながら年俸も最大で1200万円の年もあり、そのことも自分自身「プロ」として自覚できる自信につながったと思います
余談ですが、たまにOB同士で話すときに「あの会社を良い思い出で語るのは●くらい」とあきれられます
現職である意味やりきった満足感感じていましたが、とはいえスーパーブラック企業である事に変わりはありません。5年近く働く中で後輩達もどんどんローテーションしていき、最古参に近くなってしまった事、また会社の化石燃料をメインに据えたビジネスをしていましたが、再エネが主役の世の中にどんどん移り変わっていることに鈍感な私も薄々気づくようになりました。そもそも不安定な勤務形態からいつかは辞める事を考えていた為4年働いて業務が落ち着いたタイミングで少し将来のことを考えるようになりました。人がドンドン辞めていく環境でつぎはぎ的に業務をやることで何となく一通りできるようになっている自信はあったのですが、一気通貫でやりきった経験が無いことに少し不安がありました。また、前職は正にプロ集団の中で鍛えたえてもらったという自信がはあったのですが反面一人でどこまでできるのか、今いち自信がありませんでした。
そこで次の転職で私がとったのは「腕試し」です。もはやジョブホッパーの経歴は繕いようも無く、「これより悪い環境はそうな無い」というブラックな環境で4年近くやりきった事で変に気が大きくなった事はなりますが、次を探すに当たって条件や環境を少しおいて「自分がどこまでやりきれるのか」を試せる環境であることを最優先に転職先を探す事にしました

⑥6社目・・・再エネデベロッパー
在籍約3年。約1000万円(年俸制)
非常に不思議な会社でしたが、一言で言うと「スーパーホワイト企業」でした
アメリカ人のオーナー社長の元、10名程度の日本人スタッフが仕事をする環境。グループはその他東南アジアに別の現法もありました。前職がスーパーマンだらけの環境であった反動もあるかもしれませんが、非常に僭越ながら、仕事ができない人たちの集まりといった環境でした。
ただ、逆にそんな環境であった為、上司をすっ飛ばして私がプロジェクトをリードする経験が積めたという意味では怪我の功名的な面もあったと思います。
で、何がスーパーホワイトかというと、上司がいい加減、オーナー社長も基本放任主義で、且つ成果を求めない(ように見えた)環境でした。つまり自分が仕事をしたいと思えばいくらでもできる、でもサボりたければいくらでもサボれる。でもそこそこ高給。当時コロナ禍前でしたが、自主的に在宅勤務を活用していました(でも何にも言われませんでした)
とは言え私が転職したのは「腕試し」が目的です。ある意味ちょっと残念な同僚達をひっぱりつつ、傾きかけた案件を立て直し最後は完成まで持って行くという自分として素晴らしい経験、そして自分がいかに鍛えられたかを確認する機会を与えてもらったという意味では大変満足でした
ただ、落とし穴もありました。「成果を求めない」という事は、あくまで私の主観ですが、私としては会社に対して十分な貢献を果たしたという自信はあったものの、オーナー社長は全く関心が無かったようでした。その後案件の進め方で何度か衝突的なものがあり、最後は待遇面で当初の採用時の条件を反故にされるような事件もありかなり不信感が高まってしまいました。
ただこちらも元々「腕試し」で入った会社だったのでここで割り切ってみようかな、という気になりました。(スーパーホワイトの環境を捨てるのは非常に逡巡がありました)
今回は本気で転職活動をしてみました。その中で自分の次の課題も見えてきました
・マネジメント経験
社会人経験約20年、これから70、80歳まで働くとすると正に折り返し地点とも言える訳です。
そこで私はビジネスマンとして後半戦をサバイバルするために「マネジメント」のスキルを得られる環境を求めて転職活動を行う事にしました

優柔不断サラリーマンの試行錯誤
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